ジェームスについて
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About James
お兄ちゃんジェームス
2001年秋、京都河原町の高島屋の前で、
子犬の里親探しをしているボランティアさんの元から、このお家へもらわれてきました。
当時のお母さんは、病気療養中。
癒し犬として引き取られ、お父さん、お姉ちゃん、お兄ちゃんといっしょに、静かに暮らしていました。
後に、お母さんは他界。その日から、会社や学校へ行く家族を見送ると、早朝から夕方遅くまで、ひとりぼっち。
閉め切られたお家の中でお留守番の毎日が続いていました。
そんなある日、僕が6歳の時に、新しいお母さんがやってきました。
その日からは、寂しくありません。
新しいお母さんといつも一緒。お出かけすることも増えて、お友達も沢山出来ました。
ワンちゃんパーソナリティーとして、FM京都で番組を担当したり、
2011年東日本大震災をきっかけに、動物のための義援金活動を始めたり。
山口県岩国市観光大使にも委嘱されました。家に籠っていた頃とは180度違う毎日。
テレビやライブイベントへ出演したり、旅行にでかけたりと楽しい日々を過ごしていました。
ところが14歳の夏(2016年8月19日深夜)、突然脳梗塞で倒れ闘病生活に。
リハビリのお陰で歩けるまでに回復して、例年通り、秋のライブ出演も出来ました。
ただ、高齢ということもあり、日々衰えていき、徐々に歩行困難になり、食事も介助が必要になってきました。
1年半の寝たきり介護生活の後、2019年2月7日、午前2時10分。お母さんの腕の中から、旅立ちました。
お兄ちゃんジェームスの人生の詳細は、「note」をクリックして、ご覧くださいね。
子犬の里親探しをしているボランティアさんの元から、このお家へもらわれてきました。
当時のお母さんは、病気療養中。
癒し犬として引き取られ、お父さん、お姉ちゃん、お兄ちゃんといっしょに、静かに暮らしていました。
後に、お母さんは他界。その日から、会社や学校へ行く家族を見送ると、早朝から夕方遅くまで、ひとりぼっち。
閉め切られたお家の中でお留守番の毎日が続いていました。
そんなある日、僕が6歳の時に、新しいお母さんがやってきました。
その日からは、寂しくありません。
新しいお母さんといつも一緒。お出かけすることも増えて、お友達も沢山出来ました。
ワンちゃんパーソナリティーとして、FM京都で番組を担当したり、
2011年東日本大震災をきっかけに、動物のための義援金活動を始めたり。
山口県岩国市観光大使にも委嘱されました。家に籠っていた頃とは180度違う毎日。
テレビやライブイベントへ出演したり、旅行にでかけたりと楽しい日々を過ごしていました。
ところが14歳の夏(2016年8月19日深夜)、突然脳梗塞で倒れ闘病生活に。
リハビリのお陰で歩けるまでに回復して、例年通り、秋のライブ出演も出来ました。
ただ、高齢ということもあり、日々衰えていき、徐々に歩行困難になり、食事も介助が必要になってきました。
1年半の寝たきり介護生活の後、2019年2月7日、午前2時10分。お母さんの腕の中から、旅立ちました。
お兄ちゃんジェームスの人生の詳細は、「note」をクリックして、ご覧くださいね。
弟ジェームスJr
2019年2月7日、僕ジェームスがママンの腕の中から旅立ってからのママンはとても寂しくて、
僕のお仏壇に毎朝手を合わせ「ジェームスが良いと思う子を見つけてきてね。ジェーちゃん、帰ってきて。」と泣いていました。
2019年10月6日、突然この子の里親探しをしているという情報がママンに入ってきました。
この子は、2歳までは外国からの留学生と暮らしていました。
その後、その学生が帰国してしまい、次の里親さんの元へ引き取られました。
ところが、事情があって里親さんとは別々に暮らすことに・・・。
この子独りだけでビルに住むことになってしまいました。
雨風はしのげます。ご飯も貰えます。
だけど、声をかけてもらうこともなく、遊んでもらうこともなく、排泄のためだけに朝夕お外へ出してもらうだけで、
あとはこのビルの中で寂しく過ごしていました。
お仕事をしている人がいる間は、冷暖房と灯りがあります。
就業後は電源を落とされ、ひとりぼっち。
翌朝誰かがビルにやってくるまでは、暑くても寒くても、ひとりぼっちで真っ暗なビルの一室で我慢していました。
そんなある日、その里親さんもこの子を飼えなくなって、里親探しが始まりました。
3ヵ月が過ぎても見つからない。里親捜しを任された人も焦りと不安を感じながら日々を送っていたそうです。
沢山の人に話が広まり、僕のママンに話がきました。
ママンがこの子の写真をパパンに見せると、「顔がいい、賢そう。」と気に入り、会いに行くことになりました。
実は、そう仕向けたのは僕なんだけどね。(笑)
パパンが見た写真はこれ。僕はバンダナがトレードマークだったけど、この子は蝶ネクタイ?
パパンとママンがこの子に会いに行ったのは、2019年10月9日(水)先方から指定されたこの日。
偶然にも僕の『J&M THEATER』特番~追悼番組~のオンエアの日でした。
この子にママンが声をかけても下を向いたまま。なんだか寂しそう。
ママンが何と声かけたかって?!なんとそれは、「うちのジェームス君になる?」って。
そんなこと急に言われてもねぇ。(苦笑)
この子は無反応、無表情。
それもそのはず、この子は日本にいながら日本語を聞くことがほとんどなくて、外国の言葉しか知らなかったようです。
この子の生活を聞いたママンは、泣いて(すぐ泣くなぁ)引き取ろうかなぁって思ったらしい。
だけどパパン。僕がいなくなってからは、もうワンちゃんとの生活はしないと言っていた。
(お空から聞いていたから知っているよ〜)
僕を大好きだったママンは、僕と同じ柴犬とシェパードのミックスで、15キロサイズ。
そんな子をパパンに内緒で探していたようです。
なんか噛み合わない。この子、どうなっちゃうのかなぁ。
お空から見ている僕も心配でした。
お見合い(?)が終わって、「引き取るかどうかを相談してまた連絡します。」と言って帰って行ったパパンとママン。
車に乗ってその場所を後にした数分後には、「うちの子にします!」って。電話をしていました。(笑)
「本当に相談したの?!」ま、良かった!僕がいいと思う子はこの子で、
この子を僕みたいに幸せにして欲しいと願っていたから。
時々僕は、この子の身体を借りてパパンとママンい会いに行くよ〜。
2019年10月13日、里親捜しを手伝ってくれていたトリマーさんの車に乗って高谷家へ。
到着!お庭に入ってきた子。あれっ?蝶ネクタイを外されて僕の愛用のバンダナをつけている。
早速病院で健康診断。大人しくできてお利口さん!まるで僕みたい。(笑)
病院から帰って、リビングに初めて入ってくつろいでいます。本当に僕にそっくりだなぁ。
夕ご飯の時、僕がやっていた行動と同じ。パパンの膝元へ。
これも僕と同じ。ママンのベッドの横に専用ベッドを置いてもらう。
2015年1月17日 生まれの血統書付き柴犬。男の子3匹、女の子1匹の兄弟の中の1匹。
亀岡のブリーダーさんのところで生まれました。血統書には出生地、親犬名前、親犬の入賞歴なども掲載されています。
この子の兄弟をご存知の方、この子と同じお誕生日で、亀岡生まれの柴犬をご存知の方、ご連絡お待ちしています!
犬舎:桔梗庵 名前:愛宕の福丸号
今日からこの子の名前は、『ジェームスJr(ジュニア)』僕と同じ呼び方で可愛がってください。
この子が僕の後を引き継いで、動物愛護活動をします!一安心だ、ワン!
弟ジェームスの詳細は、下記をクリックしてご覧ください。
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